【作者】
吉田松陰(1830〜1859)
幕末期の長州藩士・勤皇家。長州萩東松本に杉百合之助常道の次男として生まれた。五歳のとき叔父の山鹿流軍学師範吉田大助の養子となった。兵書を父の末弟玉木文之進に学び十九歳で山鹿流家学の師範となった。その後各地を遊学し、特に佐久間象山に師事したことは、其の生涯に大きな影響を受けた。松下村塾で長州藩の師弟の教育にあたり、門下から、久坂玄随・高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文・山形有朋。前原一誠・品川弥二郎ら明治維新の大業に活躍した若者を輩出させた。時の大老井伊直弼が勅許を待たずして米国との通商条約をを結び、尊王攘夷派を弾圧するに及んで、上京中の老中間部詮勝暗殺の血盟を結んだが、藩によって投獄され、翌年幕命により江戸に護送され、小塚原で処刑された。時に享年三十歳。
【解説】
処刑されるに及んでみずから感じたままを詠んだ詩。安政六年十月二十日、処刑の七日前に、獄中から郷里に送ったもので、自ら浪々として吟じたのを筆記させたものである。
【通訳】
今、私は国の為に命を捨てようとしている。ここで死んでも、すべて国の為を思ってしたことで、君公と両親の恩義にそむくところは少しもない。天地間のことは、悠々として果てしもない。この忠誠こそ、神のみがご覧下さっておられるのである。